アキバ系じゃない趣味

書き味の探求 プログラマーが万年筆とインク沼に辿り着いた経緯

Tags: 万年筆, インク, 文房具, アナログ, ライフスタイル

日常と非日常の交差点

ソフトウェアエンジニアとして日々コードと向き合っていると、目の前にあるのは常にディスプレイとキーボードです。情報がピクセルとして表示され、思考はデジタルな文字へと変換されていく。そんな生活を送る中で、ふと紙にペンを走らせた時に感じた、指先から伝わる微かな抵抗感や、インクが紙に吸い込まれていく様が、新鮮な感覚として心に残りました。それが、私が万年筆というアナログな世界に足を踏み入れる小さなきっかけだったように思います。

最初は、会議のメモを取る際に「少し良いペンで気分転換したい」という漠然とした思いからでした。量販店で何気なく手に取った国産のエントリーモデルの万年筆。滑らかでありながら、どこか癖のある書き味に惹きつけられました。普段のボールペンやシャープペンシルとは全く異なる、生き物のような筆記具との出会いでした。

万年筆とインク、その奥深い世界

万年筆は、ペン先の素材(金やステンレス)、形状(F細字、M中字など)、そしてインクを吸入する機構によって、書き味が大きく異なります。同じメーカーの同じペン先でも、個体差があり、まるで一つとして同じものが存在しないかのようです。自分の筆圧や書き癖に合うペンを探す旅は、それ自体が楽しい探求プロセスとなります。

さらに万年筆の世界を深く知ると、「インク沼」と呼ばれる、多種多様なインクの世界が広がっています。定番の色だけでなく、季節限定の色、地域の特色を表現した色、蛍光色、ラメ入り、さらには書いた後に色が変化するインクなど、その種類は無限と言えるほどです。同じ万年筆でも、インクを変えるだけで全く異なる表情を見せるのです。

なぜこの趣味にハマったのか

プログラミングの世界では、常に最新の技術や効率性が追求されます。コードは論理的で明確でなければなりません。一方、万年筆とインクの世界は、論理よりも感覚、効率よりも趣が重んじられます。

万年筆のペン先が紙の上を滑る際の、微細な振動や音。インクが乾くにつれて現れる色の濃淡(シェーディング)や、特定の色素が分離して別の色に見える(フラッシュ)といった現象。これらは、デジタルな世界では決して得られない、五感に訴えかける体験です。

一本一本異なる万年筆の書き味を探求すること。そして、その万年筆に合わせるインクの色を選ぶこと。これは、ある種のシステム構築やデータ分析にも似た、論理的な思考と直感、そして膨大な選択肢の中から最適な組み合わせを見つけ出すプロセスと言えます。しかし、その結果はデジタルデータではなく、紙の上に残る具体的な「跡」である点が異なります。この、アナログな手触りと無限の組み合わせの探求が、私をこの趣味に深く引き込みました。

時間と費用について

万年筆とインクの趣味にかける時間と費用は、まさに「沼」の深さによってピンキリです。

時間としては、新しい万年筆やインクの情報収集(ブログ、SNS、専門誌など)、文具店での試し書き、購入した万年筆の手入れ(洗浄など)、そして実際に万年筆を使って書く時間などが挙げられます。凝り始めると、週に数時間はこの趣味に充てているかもしれません。

費用については、エントリーモデルの万年筆であれば数千円で購入できますが、ヴィンテージ万年筆や限定モデル、海外製の高級万年筆などは数十万円、時にはそれ以上になることもあります。インクも一瓶1000円〜3000円程度ですが、限定インクや海外インクなどを集め始めると、気がつけばかなりの数になっていることも珍しくありません。私の場合、これまでに万年筆本体に十数万円、インクやノートなどの周辺品に数万円程度を費やしているかと思います。しかし、これはあくまで私個人の例であり、数本のお気に入りの万年筆とインクで十分に楽しむことも可能です。

プログラミング・仕事・人生への影響

この趣味が直接的にプログラミングスキルを向上させたわけではありません。しかし、間接的な良い影響は多く感じています。

まず、仕事の合間に万年筆で手書きのメモを取る時間を持つことで、デジタル漬けになった脳を休ませ、気分転換することができます。ペン先と紙の間に集中することで、短時間でリフレッシュし、その後の作業効率が向上するように感じています。

また、万年筆やインクの収集・探求のプロセスは、プログラミングにおけるライブラリの選定や、アーキテクチャの設計にも似た思考を使っている側面があると感じます。多様な選択肢の中から、目的や好みに合った最適なものを選び出し、組み合わせる。この「探求し、組み合わせる」という行為自体が、私のプログラマーとしての根源的な楽しさと繋がっているのかもしれません。

そして何より、この趣味を通じて、デジタルだけではない世界の奥深さ、アナログなものの持つ温かみや趣きに気づかされました。人生において、効率性や論理性だけでは測れない価値があること、そして探求の対象はコードの中に限らないということを、改めて認識させてくれました。

趣味を通じて得られたもの

この趣味を通じて得られたものは多岐にわたります。

一つは、新しいコミュニティとの交流です。文具店のイベントや、SNSでの繋がりを通じて、万年筆やインク、さらには書くこと自体を愛する様々なバックグラウンドを持つ人々との交流が生まれました。これは、普段の仕事で関わる人々とはまた異なる視点や価値観に触れる貴重な機会となっています。

また、手で書くという行為そのものから得られる充足感も大きいものです。思考を手書きでアウトプットすることで、頭の中が整理され、新しいアイデアが生まれることもあります。そして、お気に入りの万年筆で書いた文字やイラストを見るたびに、小さな達成感や喜びを感じることができます。

デジタルな波に流されがちな現代において、物理的なモノに触れ、時間をかけて向き合うことの価値を再認識させてくれたことも、この趣味から得られた大きなものだと感じています。

読者へのメッセージ

もしあなたが日々デジタルな作業に追われ、何か新しい刺激や癒やしを求めているなら、万年筆の世界を覗いてみるのは良い選択肢かもしれません。

始めるにあたって、高価な万年筆を用意する必要はありません。まずは数千円で手に入るエントリーモデルから試してみることをお勧めします。近くの文具店に足を運んで、実際にいくつかのペンを試し書きしてみるのが一番です。ペン先が紙に触れた時の感触、インクフローの滑らかさ、自分の手に馴染むかなど、五感を頼りに選んでみてください。

インクについても、最初は黒や青といった定番色から始めて、慣れてきたら少しずつ色を増やしていくのが良いでしょう。色彩の豊富さに驚かれるはずです。インクは少量から分譲してくれるお店もありますので、色々な色を試してみるのも楽しいです。

万年筆は適切な手入れをすることで長く使うことができます。使い終わったらキャップをしっかり閉める、定期的に洗浄するなど、少し手間はかかりますが、その手間も愛着へと繋がっていきます。

焦らず、自分のペースで、書き味や色彩の探求を楽しんでください。

まとめ

プログラマーとしての日常は、論理と効率、そしてデジタルな情報の海に囲まれています。そんな中で、万年筆とインクというアナログな趣味は、日常に穏やかな彩りと深みをもたらしてくれました。ペン先の感触、インクの色、紙の質感。一つ一つの要素にこだわり、探求していく過程は、まさに自分だけの「システム」を構築するような面白さがあります。

もしあなたが、仕事以外の時間をもっと豊かにしたい、あるいはデジタルではない世界に触れてみたいと感じているのであれば、万年筆を手に取ってみることを考えてみてください。それは、あなたの人生に、きっと新しい書き心地と彩りを加えてくれるはずです。