アキバ系じゃない趣味

無垢な音色を求めて プログラマーがアナログレコードの世界に辿り着いた経緯

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デジタルと現実の境界線

私は普段、ディスプレイに映し出されるコードと向き合う日々を送っています。論理的な構造を組み立て、無数のデジタルデータを行き来させる作業は、時に果てしない海原を漂っているかのようです。そんな私の日常に、ある日、偶然とも言える形で一筋の光、あるいは音色と呼ぶべきものが差し込んできました。それが、アナログレコードの世界です。

プログラミングの仕事柄、音楽を聴くのはもっぱらストリーミングサービスやデジタル音源でした。手軽で場所を取らず、何百万曲ものライブラリにアクセスできる利便性は、疑いようもなく素晴らしいものです。しかし、どこか味気なさを感じていたのも事実です。

溝に刻まれた音と対峙する

アナログレコードとの出会いは、実家で見つけた父が遺した古いレコードプレイヤーと数枚のLPでした。埃をかぶったそれらを恐る恐る動かしてみた時、スピーカーから流れ出した音は、これまで聴いていたデジタル音源とは全く異なる響きを持っていました。プチプチというノイズ混じりではありましたが、どこか温かく、そして生々しい「音」でした。

アナログレコードは、音の波形を物理的な溝として盤面に刻み込んだメディアです。これをターンテーブルに乗せ、針を落とし、溝をトレースすることで音が再生されます。関わる要素は多岐にわたります。レコード盤自体の状態、ターンテーブルの回転精度、カートリッジと針の性能、そしてそれらを増幅するアンプやスピーカーの特性など、まさに「音を鳴らすための一連のシステム」全体が重要になります。

具体的には、中古レコード店を巡って盤を探したり、インターネットオークションで珍しいタイトルを掘り出したり、時にはイベントに参加して他の愛好家と情報交換をしたりします。手に入れた盤は専用のブラシや洗浄液で丁寧に手入れをし、大切に保管します。そして、静かな時間を見つけては、ジャケットを眺め、ライナーノーツを読みながら、針を落とすという儀式を執り行うのです。

なぜ、この「不便さ」に惹かれるのか

アナログレコードに惹かれた最大の理由は、その「音」そのものの魅力です。デジタル音源が極限までクリアで情報量が多い一方、アナログレコードの音には独特の奥行きや空気感があります。情報としては欠落しているはずなのに、なぜかそこに「音楽」が宿っているような、生々しい感動があるのです。特に古いジャズやクラシック、ロックなどは、当時の録音環境やマスターテープの質感がそのままパッケージされているかのようなリアリティを感じることがあります。

また、レコードは物理的なメディアであるという点も魅力です。手のひらに収まるサイズのジャケットには、デジタルデータにはないアートワークや情報が詰まっています。一枚一枚の盤に物語があり、それを所有し、手入れし、棚に並べる行為自体に喜びがあります。これは、形のないデジタルデータを扱うプログラミングとは全く異なる種類の充足感です。

デジタル音源のように瞬時に曲をスキップしたり、プレイリストをシャッフルしたりすることはできません。A面が終わればB面にひっくり返す必要があります。この「不便さ」や「手間」が、かえって音楽とじっくり向き合う時間を与えてくれます。一枚のアルバムを通して聴くことの重要性を再認識させてくれましたし、針を落とすまでの静寂、そして音が出た瞬間の感動は、デジタルでは得られない体験です。

時間と費用感

この趣味にどのくらいの時間をかけているかというと、これは波があります。レコードを探しに店に行く場合は半日から一日かけることもありますが、普段は一日に30分から1時間程度、レコードを聴く時間を持つようにしています。手入れなども含めると、週に数時間といったところでしょうか。

費用に関しては、機材はピンキリです。中古やエントリーモデルであれば数万円から始められますが、凝り始めると数百万円クラスのものも存在します。私の場合は、最初は中古のプレイヤーから始め、徐々にステップアップしていきました。現在までに機材には数十万円を投資しています。レコード盤自体は、中古なら数百円から、状態の良いものや希少盤になると数万円以上するものまであります。月に数枚程度購入することが多いので、数千円から1万円程度の出費といった感覚です。当然ながら、収集対象やこだわる度合いによって大きく変動します。いわゆる「沼」は深く、天井はありませんが、自分の予算とペースで十分に楽しめます。

仕事への意外な影響

アナログレコードという趣味が、直接的にプログラミングスキルを向上させたかというと、それは難しいかもしれません。しかし、仕事への向き合い方や人生観には少なからず影響を与えていると感じています。

まず、一つのことにじっくり向き合う集中力が養われたように思います。レコード鑑賞は、デジタルデバイスのように通知で中断されることが少なく、音に集中する時間が必要です。また、古い機材のメンテナンスやレコードの手入れなど、地道な作業も多く、それらを通じて丁寧さや根気強さが身についたように感じます。

さらに、デジタルな世界で効率や最適化を追求する中で、アナログの持つ「不完全さ」や「揺らぎ」の価値を再認識できたことも大きいです。全ての情報が数値化・データ化されるデジタルとは異なり、アナログレコードの音は環境や機材によって常に変化します。この予測できない部分、コントロールしきれない部分を受け入れる姿勢は、複雑なシステム開発における不確実性への対応にも通じるものがあるかもしれません。

そして何より、仕事以外の時間で五感を使い、物理的なものに触れることで、デジタル漬けの日常から解放され、心身のリフレッシュになっています。これは、仕事の生産性維持にも繋がっていると感じています。

得られた豊かな時間

この趣味を通じて得られたものは多岐にわたります。まず、純粋に音楽を深く楽しむことができるようになりました。これまで聴いたことのなかった時代の音楽や、特定のレーベル、アーティストを深く掘り下げていく知的な探求心も満たされます。

また、同じレコード愛好家との交流も大切な要素です。特定の盤について語り合ったり、機材について情報交換したりすることで、共通の趣味を持つ人との繋がりが広がりました。オンラインのコミュニティや、実店舗での店員さんとの会話なども含め、小さな世界ですが温かい交流があります。

そして何よりも、慌ただしい日常から離れて、音楽と自分だけの静かな時間を持つことができるようになりました。レコードをターンテーブルに乗せ、針が落ちる音を聞く。そしてスピーカーから音が出てくる瞬間の期待感と喜び。この一連のプロセスが、私にとって非常に心地よい瞑想のような時間を与えてくれます。ストレス解消になり、心の平穏を保つ上で欠かせない存在となっています。

始める人へのアドバイス

もしアナログレコードの世界に少しでも興味を持たれたなら、まずは難しく考えずに一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。いきなり高価な機材を揃える必要はありません。

まずは、中古のレコードプレイヤーを探してみるのが良いでしょう。数千円から手に入るものもあります。あるいは、最近はエントリークラスの新しいプレイヤーも出ています。そして、自分の好きなアーティストが過去にリリースしたレコードを探してみてください。意外と身近なリサイクルショップやフリマアプリで見つかることもあります。

実際に盤を手にして、ジャケットを眺め、ターンテーブルに乗せて針を落とす。その一連の体験こそが、アナログレコードの醍醐味です。デジタル音源との音質の違いを感じ取れるかどうかは、環境や個人の感覚にもよります。最初は分からなくても全く問題ありません。大切なのは、その行為自体を楽しむことです。

中古盤店は、宝探しのような楽しさがあります。埃っぽい棚の中から、思わぬ名盤や、自分の思い出の一枚を見つける喜びは格別です。最初は店員さんに尋ねてみるのも良いでしょう。彼らは音楽や機材に関する豊富な知識を持っています。

この趣味は、焦らず、自分のペースで楽しむのが一番です。少しずつ機材をアップグレードしたり、コレクションを増やしたりしながら、自分だけの「音」の世界を構築していく過程を楽しんでください。

デジタルとアナログの調和

デジタル技術の進化は私たちの生活を豊かにしてくれましたが、同時に何か失われたものもあるのかもしれません。アナログレコードという趣味は、私にとって、その失われたもの、あるいは普段意識しない感覚を取り戻させてくれる存在です。

これは、プログラミングの世界で論理と向き合う時間とは全く異なる次元の体験です。しかし、どちらか一方だけが良いというわけではありません。デジタルとアナログ、それぞれの良さを理解し、自身の生活の中にバランス良く取り入れていくことこそが、人生をより豊かにしていく鍵なのかもしれない。アナログレコードという溝に刻まれた音は、そんなことを私に教えてくれたように感じています。