土と向き合う時間 プログラマーが陶芸に没頭する理由
画面の向こうから、土の手触りへ
長時間ディスプレイと向き合い、キーボードを叩く日々。ソフトウェアエンジニアとして働く私の日常は、まさにデジタルの世界に閉じていました。論理を組み立て、コードを書き、システムを構築する作業は非常にやりがいがありますが、同時に、五感の多くが刺激されない環境であることも事実です。そんな私が、ある日突然、「土を触りたい」という衝動に駆られました。それが、私が陶芸の世界に足を踏み入れたきっかけです。
特別な出会いがあったわけではありません。ただ、漠然と「何かアナログな、手を使うことをしてみたい」と考えていた時に、ふと陶芸の体験教室の広告を目にしたのです。直感的に「これだ」と感じ、すぐに予約を取りました。初めて電動ろくろに座り、冷たい土が手のひらの中で形を変えていくあの感触は、今でも鮮明に覚えています。それは、普段の仕事では決して味わえない、新鮮で心地よい感覚でした。
陶芸とは、土と炎が織りなす創造の過程
陶芸は、粘土という素材を用いて器やオブジェなどを作る工芸です。主な工程としては、まず粘土を練って空気や不純物を取り除く「土練り」から始まります。次に、手で形を作る「手びねり」や、電動ろくろを使って回転させながら形を作る「ろくろ成形」で成形を行います。形ができたら、ゆっくりと乾燥させ、素焼きという一度目の焼成を行います。素焼きの後、色をつけたり質感を加えたりするために「釉薬(ゆうやく)」という上薬をかけ、最後に本焼きという高温での焼成を経て完成となります。
私が主に体験しているのは、電動ろくろでの成形です。中心を取るだけでも難しく、少しでも力が均等でなかったり、重心がずれたりすると、土はすぐに歪んでしまいます。まさに、土と対話し、その性質を理解しながら導いていくような感覚です。釉薬選びもまた奥深く、同じ釉薬を使っても、土の種類や焼成方法、窯の中での位置によって、予期せぬ美しい発色や表情が生まれることがあります。
デジタルとは真逆の面白さ、予測不能な魅力
陶芸にこれほどまでハマったのは、そのアナログさと予測不能な側面に強く惹かれたからです。プログラミングは、論理的に記述し、期待通りの結果を出すことを目指します。エラーが出ればデバッグし、原因を特定して修正すれば、ほぼ確実に意図した動作を実現できます。しかし陶芸は違います。どれだけ丁寧に作業しても、乾燥中に割れたり、焼成中にヒビが入ったり、釉薬の色が想像と全く異なるものになったりと、思い通りにならないことが多々あります。
特に、窯から作品を取り出す瞬間は、毎回がサプライズです。釉薬の色合いや土の表情は、焼成を経て初めて確定します。失敗することもあれば、偶然が生み出す予想外の美しさに驚かされることもあります。この、最後の最後まで結果が分からないスリルと、窯の炎という自然の力に委ねる感覚は、デジタルで完結するプログラミングとは全く異なる面白さです。失敗すらも「味」として受け入れられる寛容さも、陶芸の魅力だと感じています。
時間と費用について
私が通っている陶芸教室は、週に一度、2時間のクラスです。月謝は場所によって異なりますが、私の場合は月に約1万円程度です。これに加えて、使用した粘土の量と焼成費が別途かかります。作るものの大きさにもよりますが、月に数千円程度を見込んでいます。
もちろん、自宅に設備を揃えるとなると初期費用は高額になりますが、まずは体験教室から始めるのが一般的で、必要な道具は全てレンタルできます。時間についても、まとまった時間が取れない場合は、予約制の自由制作クラスなどを利用することも可能です。自分のペースで楽しむことができる柔軟性があります。
仕事と陶芸、意外な相互作用
陶芸が私のプログラミングスキルに直接的な影響を与えたかと言われれば、正直なところ明確な関連は見出しにくいかもしれません。しかし、仕事への向き合い方や思考の幅という点では、間違いなく良い影響を受けています。
まず、陶芸に没頭する時間は、デジタルデバイスから完全に離れ、無心になれる貴重な時間です。土の手触り、形を作ることに集中することで、仕事のストレスや悩みから解放され、心身ともにリフレッシュできます。これにより、仕事に戻った際の集中力が高まっているように感じます。
また、陶芸における「失敗も味」という考え方は、プログラミングにおけるエラーへの向き合い方にも少し影響を与えているかもしれません。もちろん、仕事ではエラーを排除することが重要ですが、時に想定外の挙動や結果から新たな発見があるように、陶芸でも予期せぬ結果から学びや面白さが生まれます。完璧を目指しつつも、不確実性を受け入れる柔軟性が養われているように思います。そして何より、デジタルとアナログという全く異なる分野を行き来することで、思考の幅が広がり、固定観念に囚われにくくなったと感じています。
陶芸がくれた、ゆたかな時間とつながり
陶芸を通じて得られたものは、単に器が作れるようになったという技術だけではありません。土という自然素材に触れることによる癒やし、一つのものが形になっていく過程での集中力と達成感、そして、窯から作品を取り出す瞬間の高揚感。これらは、日々の忙しさの中で忘れがちな、五感で味わう充足感です。
また、陶芸教室で出会った多様なバックグラウンドを持つ人々との交流も、視野を広げる機会となっています。仕事とは全く異なる価値観や考え方に触れることで、自分自身の凝り固まった頭を柔らかくしてくれるように感じます。
これから陶芸を始めてみたい方へ
もし、少しでも陶芸に興味を持たれたなら、まずは気軽に「体験教室」に参加してみることを強くお勧めします。一日体験であれば、費用もそれほどかからず、手ぶらで参加できる場所がほとんどです。電動ろくろを体験するだけでも、土が手のひらで生きているかのような不思議な感覚を味わうことができるでしょう。
最初は上手にできなくても全く問題ありません。むしろ、いびつな形や予期せぬヒビも、それはそれでその時の自分の「味」として楽しむくらいの気持ちでいるのが良いと思います。完璧を求めすぎず、土と向き合う時間そのものを楽しむことが、陶芸を満喫する秘訣ではないでしょうか。
デジタルライフに、土の手触りを
プログラミングというデジタルな世界に深く入り込む私たちだからこそ、アナログな趣味を持つことの価値は大きいのかもしれません。陶芸は、手のひらに土の感触を、五感に新鮮な刺激を与えてくれます。そして、思い通りにならない不確実性の中で、新たな発見と喜びを見出す楽しさを教えてくれます。
もし、日々の仕事に追われ、少し視野が狭まっていると感じているなら、キーボードから手を離し、一度土に触れてみてはいかがでしょうか。デジタルとは異なる時間の流れの中で、きっと新たな自分や、人生を豊かにするヒントを見つけられるはずです。