ルールと物語を紡ぐ プログラマーがTRPGにハマった理由
コードと物語、二つの世界線
ソフトウェアエンジニアとして、私の日常は論理と構造、そして精緻なコードに囲まれています。特定の目的を達成するために、無数の変数や関数、クラスを組み合わせ、予測可能な挙動を作り出すことに心を砕く日々です。それは非常にやりがいのある仕事ですが、時として、すべてが決められたルールの中で進行することに、ある種の閉じこもった感覚を覚えることもあります。
そんな私が、ある日ふとしたきっかけで足を踏み入れたのが、テーブルトークRPG(TRPG)の世界でした。画面の中の仮想世界ではなく、テーブルを囲んで、あるいはオンラインツールを通じて、人間同士が対話しながら物語を紡いでいくこのアナログな趣味に、私は次第に深く魅せられていきました。
テーブルの上で繰り広げられる共同創造
TRPGとは、プレイヤーそれぞれが想像上のキャラクターを演じ、ゲームマスター(GM)と呼ばれる進行役が提示する状況に対して、対話を通じてキャラクターの行動を宣言し、その結果をルールブックやダイス判定によって決定していく遊びです。コンピュータRPGのように画面が物語を進めてくれるわけではなく、すべてが参加者の言葉と思考によって形作られていきます。
GMは物語の舞台設定やNPC(ノンプレイヤーキャラクター)を準備し、プレイヤーは自分のキャラクターが「その状況でどう考え、どう行動するか」を自由に想像し、表現します。例えば、「目の前に謎の扉がある。どうしますか?」とGMが問いかけたら、プレイヤーは「扉に耳を澄ませてみます」「頑丈そうか調べてみます」「魔法で開けてみます」など、キャラクターなら取りそうな行動を口にします。その行動が成功するかどうかは、キャラクターの能力や状況に応じてルールブックを参照し、ダイスを振って判定することが多いです。
プログラミングとは異なるロジックと魅力
私がTRPGに惹かれたのは、まさにこの「共同で物語を創造する」という点にあります。プログラミングは基本的に一人、あるいは少人数のチームで一つの完成形を目指しますが、TRPGでは参加者全員が等しく物語の担い手となります。GMの用意した骨子に対し、プレイヤーたちの自由な発想や行動が加わることで、GM自身も予測できなかった展開が生まれることがあります。
プログラミングにおけるロジックは、厳密で確定的です。入力に対して常に同じ出力が得られるように設計します。しかし、TRPGにおけるロジック、すなわち「ルール」は、あくまで物語を面白く進行させるための枠組みであり、人間の判断やダイスの不確定性が常に介在します。この「予期せぬ面白さ」が、私にとって新鮮で非常に魅力的に映りました。自分のキャラクターが予期せぬダイスの出目によってピンチに陥ったり、他のプレイヤーの機転によって窮地を脱したりする展開は、画面の中のゲームでは決して味わえない生きた感動があります。
また、キャラクターの「心情」や「動機」を深く掘り下げて演じるロールプレイングも、論理的な思考だけではたどり着けない人間の奥深さに触れる機会を与えてくれます。なぜこのキャラクターはその行動をとるのか? その背景には何があるのか? と考えることは、他者への想像力を養う訓練にもなりました。
時間と費用感
TRPGセッションにかかる時間は、短いもので3〜4時間、長いものだと8時間以上、あるいは数日に分けることもあります。私は月に2〜3回、週末の夜や休日にオンラインセッションに参加することが多いです。
費用に関しては、まずプレイしたいシステム(ルール)の基本ルールブックが必要になります。これは大体3,000円〜5,000円程度です。追加のサプリメント(拡張ルールや追加データ集)を購入することもありますが、必須ではありません。オンラインセッションであれば、Discordなどの無料通話ツールや、どどんとふ、ココフォリアといった無料のオンラインセッションツールを利用できます。物理的なダイスは数百円で購入できますが、オンラインツールで代用も可能です。全体として、他の趣味と比べて初期投資もランニングコストも比較的抑えられると感じています。
仕事や人生へのポジティブな影響
TRPGは、プログラミングの直接的なスキル向上に繋がるわけではありません。しかし、仕事や人生に対して間接的ではありますが、非常に良い影響を与えてくれていると感じています。
まず、ルールの解釈や適用、複数の情報(GMの説明、他のプレイヤーの発言、自分のキャラクター設定)を組み合わせて状況判断を行うことは、複雑なシステムを理解し、仕様を解釈するプログラミングの思考プロセスと共通する部分があります。
そして何より、多様なバックグラウンドを持つ人々と、共通の目的(物語を楽しむこと)のために協力し、コミュニケーションをとる機会が増えました。それぞれのプレイヤーが演じるキャラクターの視点や考え方、行動パターンは多岐に渡り、時にはぶつかり合うこともあります。しかし、それらを乗り越え、物語を進めていく過程で培われるコミュニケーション能力や共感力は、チーム開発における円滑な人間関係構築にも役立っていると感じます。
また、非日常的な世界に入り込み、自由に想像力を働かせる時間は、日々の業務で凝り固まった思考を解きほぐし、リフレッシュする効果があります。仕事で煮詰まった時に、TRPGで得た刺激や視点が、思わぬ解決策のヒントになることもゼロではありません。
趣味を通じて得られたもの
TRPGを通じて得られた最も大きなものは、新たな「繋がり」と「創造する楽しさ」です。オンラインセッションのおかげで、物理的な距離を超えて様々な地域、様々な職業の人々と出会い、友人となることができました。彼らとの会話は、自分の視野を広げ、多様な価値観に触れる貴重な機会となっています。
そして、何もないところから物語が生まれ、キャラクターが生き生きと動き出す様を目の当たりにするのは、コードを書いてシステムが意図通りに動作するのとはまた違った種類の、温かく、人間的な達成感があります。自分の言葉や行動が、物語の流れや他のキャラクターの感情に影響を与えるという実感は、日常ではなかなか得られない充実感をもたらしてくれます。
読者へのメッセージ
もしあなたが、仕事以外の時間をもっと豊かにしたい、新しい人との繋がりが欲しい、あるいは「物語を読んで感動するだけでなく、自分も物語の中に入ってみたい」と感じているなら、TRPGの世界を覗いてみることを強くお勧めします。
「ルールが難しそう」「一緒にやる人がいない」と心配されるかもしれませんが、最近は初心者歓迎のオンラインセッションも数多く開催されていますし、必要な情報やツールはインターネット上にたくさんあります。まずは気軽に、初心者向けのルールブックを手に取ってみたり、オンラインのコミュニティを探してみたりすると良いでしょう。多くの場合、最初から全てを理解している必要はありません。参加したいという気持ちさえあれば、GMや他のプレイヤーが優しく教えてくれるはずです。ダイス一つ、想像力一つで、全く新しい世界への扉が開かれるかもしれません。
まとめ
プログラマーの仕事は論理と構造の世界ですが、TRPGは人間的な感情と不確定性、そして共同創造の世界です。この二つは全く異なるようでいて、複雑なルールを理解し、多様な要素を組み合わせて問題(物語の展開)に対処するという点では共通点もあります。
TRPGは、単なるゲームを超え、人々が繋がり、共に物語を紡ぎ、互いの想像力によって世界を広げていくクリエイティブな活動です。画面の中だけでは得られない、生身の人間との対話を通じて生まれる驚きや感動、達成感は、あなたの日常に新しい彩りを加えてくれるでしょう。ぜひ、一歩踏み出して、あなただけの物語を見つけに行ってみてください。