アキバ系じゃない趣味

スパイスとロジック プログラマーがカレー作りに魅せられた理由

Tags: カレー, スパイス, 料理, 趣味, ライフスタイル

スパイスの沼へようこそ

私の本業はソフトウェアエンジニアです。日々の業務は、システムの設計、コードの実装、テスト、そしてデバッグの繰り返しです。論理的に物事を考え、複雑な問題を分解し、解決策を組み立てていく。そんな思考プロセスは非常に刺激的でやりがいを感じています。一方で、画面の中の数字やテキストと向き合う時間が多い中で、もっと五感を使う、 tangible な何かに関わる趣味を持ちたいと漠然と考えていました。

そんな時、偶然立ち寄ったイベントで本格的なスパイスカレーを口にする機会がありました。それは今まで私が知っていた「カレー」とは全く異なる、複雑で奥行きのある味わいでした。一口ごとに香りが変化し、様々なスパイスの個性が層となって押し寄せてくる。その瞬間、「これは一体どうなっているのだろう」という強い探求心が芽生えたのです。それが、私がスパイスカレー作りを始めるきっかけでした。

鍋の中の化学と設計

スパイスカレー作りと一口に言っても、その活動内容は多岐にわたります。市販のルーを使うのではなく、玉ねぎを飴色になるまで炒めたり、トマトを煮詰めたりといったベース作りから始めます。そして何よりも重要なのが、様々な種類のスパイスを組み合わせて香りと味を作り出す工程です。クミン、コリアンダー、ターメリックといった基本的なものから、カルダモン、クローブ、シナモン、フェンネル、メースなど、挙げればきりがありません。これらのスパイスを、ホール(原型)のまま油で香りを引き出したり(テンパリング)、粉末にして他の素材と混ぜ合わせたりします。

同じチキンカレーを作るにしても、使うスパイスの種類や配合、投入するタイミング、火加減、煮込み時間など、少し変えるだけで全く異なる仕上がりになります。まるで、同じ目的を達成するためのアルゴリズムでも、実装方法によって性能や結果が変わるように、スパイスカレー作りには無数の組み合わせと可能性があります。玉ねぎの炒め具合ひとつ取っても、その水分量や糖分が後のスパイスの馴染み方や全体の味の深みに影響を与えます。これはまるで、データベースのスキーマ設計や初期データがシステム全体に影響を与えることにも似ていると感じます。

なぜスパイスカレーにこれほどハマったのか

私がスパイスカレー作りに深くのめり込んだのは、その再現性のようでいて、予測不能な奥深さにあります。レシピという名の「仕様書」はありますが、材料の個体差、火加減、その日の湿度といった環境要因によって、常に微調整が必要です。この「仕様通りにはならない現実」と向き合い、五感を頼りに最適な状態を目指していく過程が、プログラミングのデバッグやパフォーマンスチューニングに通じる面白さがあるのです。

また、プログラミングが論理的な正確性を極める作業だとすれば、スパイスカレー作りは論理に基づきながらも、最終的な評価が「美味しいかどうか」という極めて感覚的な部分に帰結する点が魅力的です。コードが仕様通りに動くこととは別に、人間に感動を与えるという、よりプリミティブな成功体験が得られます。スパイスの香りが部屋中に広がり、食欲をそそる音を立てながら煮込まれていく。そして一口食べた時に「これだ!」と思える瞬間の喜びは、何物にも代えがたいものがあります。この五感に訴えかける明確なアウトプットは、時に抽象的になりがちなプログラミングの成果とは異なる種類の満足感を与えてくれます。

時間と費用感について

スパイスカレー作りにかける時間や費用は、どこまで深入りするかによって大きく変わります。私の場合、最初はスタータースパイスセット(基本的な数種類)を2〜3千円で購入し、自宅にある材料と組み合わせて作ることから始めました。一度に使うスパイスの量はそれほど多くないので、最初のセットでしばらく楽しめます。

本格的に様々な種類のスパイスを揃え始めたり、ミキサーやスパイスミルといった専用の調理器具に興味が出たりすると、初期費用は数万円程度になるかもしれません。しかし、これは一度揃えれば長く使えるものがほとんどです。ランニングコストとしては、スパイスの補充や野菜、肉などの食材費が主ですが、外食で済ませることを考えれば、むしろ経済的になる場合もあります。

費やす時間としては、凝り始めると一度に2〜3時間かかることもあります。玉ねぎを丁寧に炒めたり、複数の工程を経てソースを作ったりするためです。しかし、週末にまとめて仕込んだり、時間のある時にベースだけ作っておいたりするなど、工夫次第で平日の短い時間でも楽しめるようになります。この「どうすれば効率よく、かつ美味しく作れるか」を考えるのも、システム設計に通じる楽しさです。

仕事への思わぬ影響

スパイスカレー作りという、一見プログラミングとは全く関係のない趣味ですが、意外な形で仕事に良い影響があったと感じています。一つは問題解決のアプローチの多様化です。スパイスの組み合わせや調理法の失敗から「なぜこの味になったのだろう」「どうすれば修正できるのだろう」と分析する思考回路は、コードのバグの原因を探ったり、システムの改善点を洗い出したりする際に役立っています。味の要素を分解して考える癖は、複雑なシステム構成を理解する上でも有効です。

また、カレー作りに没頭する時間は、仕事のことから完全に離れてリフレッシュできる貴重な機会です。玉ねぎを刻むリズム、スパイスの香り、鍋の中で素材が変化していく様子に集中することで、頭の中が整理されます。これは、集中力が要求されるプログラミング作業の合間の、効果的なスイッチングとして機能しています。結果的に、より集中して仕事に取り組めるようになったと感じています。

さらに、完成したカレーを誰かに振る舞い、喜んでもらえる経験は、ユーザーに価値を提供するという仕事のモチベーションにも繋がります。自分の作ったもので人が笑顔になるのは、エンジニアリングを通じて世界を良くしたいという根源的な欲求を満たしてくれるのです。

五感で得られる充足感

スパイスカレー作りを通じて得られたものは、料理のスキル向上だけではありません。最も大きなものは、五感を通じた豊かな体験と、そこから生まれる内側からの充足感です。スパイスの複雑な香り、鍋の中でジュウジュウと音を立てる様子、彩り豊かな仕上がり、そして何よりも自分で作り出した独特の味わい。これら全てが、日常の中で忘れがちな感覚を呼び覚ましてくれます。

また、SNSなどで同じスパイスカレー好きの人たちと繋がることで、新たな情報交換や交流が生まれました。オンラインコミュニティでレシピを共有したり、使ったことのないスパイスについて語り合ったり。趣味を通じたこうした繋がりは、仕事だけの人間関係とは異なる広がりを見せてくれます。

そして何より、「無」から何かを創造し、それが具体的な形(美味しいカレー)として目の前に現れるプロセスは、強い達成感と自己肯定感をもたらしてくれます。これは、コードが期待通りに動いた時とはまた違う種類の、温かく確実な充足感です。

趣味を始める読者へのアドバイス

もしスパイスカレー作りに興味を持たれたなら、まずはハードルを高く感じすぎないことが大切です。いきなり全てを揃える必要はありません。スーパーで手に入る数種類の基本的なパウダースパイス(ターメリック、コリアンダー、クミン、レッドペッパーなど)から始めてみるのが良いでしょう。今はネット上や書籍で、初心者向けの丁寧なレシピがたくさん公開されています。

最初はレシピ通り忠実に作ってみることから始め、慣れてきたら少しずつ自分なりのアレンジを加えてみるのが楽しいです。スパイスの量を少し変えてみたり、入れる野菜を変えてみたり。失敗しても大丈夫です。その失敗から「なぜこうなったのか」を考えることが、次の成功に繋がります。それはまるで、テストコードを書いてバグを見つけ、修正していくプロセスに似ています。

完璧を目指すのではなく、「自分にとって美味しいカレー」を追求する気持ちで取り組むのが、長く続ける秘訣だと感じています。高価な調理器具がなくても、工夫次第で美味しいカレーは作れます。まずはキッチンに立つ時間そのものを楽しんでみてください。

鍋の中の多様な世界

プログラマーの仕事は、論理的で知的な作業が中心ですが、人生を豊かにするためには、それとは異なる性質の活動も大切だと感じています。私の場合はそれがスパイスカレー作りでした。五感を使い、試行錯誤を楽しみ、具体的なアウトプットを手にすることで得られる喜びは、プログラミングだけでは得られない種類のものです。

もしあなたが今、仕事以外の時間を持て余していたり、何か新しいことに挑戦したいと考えていたりするなら、ぜひ少しだけ日常から離れた場所に目を向けてみてください。それは必ずしもプログラミングに関連する技術的な活動である必要はありません。あなたの好奇心を刺激するものであれば、どんな趣味でも、きっとあなたの人生に彩りを与えてくれるはずです。私のスパイスカレーのように、あなたの「アキバ系じゃない趣味」が、あなたの世界を広げる一歩となることを願っています。